ヒストリー

1.購入にいたるまで・・・

 私は1998年7月31日に念願かなって免許を取得することが出来た。さて、乗る車は取得前から検討が進められていた。私は生まれたときから三菱車ばっかりに乗ってきた。保守的な私は他の会社の車には乗りたくなかったのである。そこで、三菱車で検討が進められていた。三菱といえば、やはり、パジェロといえるだろう。しかし、V型パジェロは100万円を超えるものばかり、L型パジェロは60万円近かったが、税金などが高かった。パジェロはロングボディとショートボディがあるが、ロングボディは明らかに輸送力過剰で、ショートボディが対象であった。しかし、それでも安くなかったのである。税金・保険・・・頭が痛くなりそうな額である。そんなわけでパジェロはしぶしぶ諦めた。次に候補に上げたのはパジェロJrとパジェロミニである。しかし、両者とも出てからそんなに経ってないので、100万円代ばかりであった。しかし、諦めずにさがしたところ、中古車情報誌で55万円を見つけた。当初は先客があり、購入を諦めかけたが、結局こちらの方に回ってきたのである。

2.納車にいたるまで・・・

 店の人が家まで車を見せに来てくれた。見た目の状態は良かったが、事故車であり、車内の運転席パネルも破損していた。これが失敗のもとであった。外観ではどのような事故だったかは分からなかったが、後に明らかになる。さて、初めて乗った印象は、エンジン音がうるさいということだった。しかし、中古車を見る目のない私らは購入した。そして、2週間後に納車された。運転席のパネルは新品に取り替えられていた。

3.使用開始!

 うちの学校はマイカーOKだったので、通学にも投入されることになった。この年、卒業の私は、卒業研究で遅くなることが明らかだったので、パジェロミニの投入は非常にありがたいものであった。しかし、友人が当時保有していたL型パジェロが羨ましかった。広くて乗り心地がよかったのである。私のパジェロミニは前のオーナーの改造のせいで乗り心地がわるかったのである。さて、納車されて1ヶ月経たないうちに車検を受けることになった。三菱カープラザ店(ちなみにパジェロミニの販売店はギャラン店である)に車検にだした。1週間後受け取ったが、そのとき分かったことはエンジンは載せかえられているようだとのことである。タイヤも大きいため、車検に通らないとのことだった。そのときは、マフラー・サスペンションの部品を交換している。しかし、乗り心地は依然として悪かった。
 使用していくうちに、良いところと悪いところが見えてきた。良いところは、車内の使い勝手がいいところと小回りが利くところである。車内ではずっと後席は倒したままなのだが、完全にフラットになるため、荷物の収納が簡単である。小回りという点では、軽自動車共通して言われることだろう。悪いところは乗り心地が悪いところ、冷房を使用すると走りがかったるくなり、燃費(−1,2km/l)も悪化すること、うるさいこと、狭いところである。悪いところの方が多いが、一般的なパジェロミニは乗り心地もいいし,そんなにうるさくないはずである。新規格パジェロミニになって、さまざまなところは改善されているはずである。燃費はいいときは14km/l、わるいときは11km/lである。冬場はずっと悪かった。
 現在まで、走行した中で最も遠くまで行ったのは由布院である。往復すると250km近かった。ガソリンは35lしか入らないので、結構きびしいものであった。このときの燃費は冬場にもかかわらず14km/lを記録した。坂道は登坂車線を使ったのでちとくやしかった。

4.明らかになった素性…

 卒業研究は夜遅くなることは覚悟していたが、宿泊することになったため、デリカスターワゴンを投入して宿泊に使った。ただし、P&Dマガジンによると、ミニでも泊まれるとのこと。今後は宿泊用の装備を充実させていきたいと思う。
 さて、1999年6月に事故を起こしてしまった。このときは修理に1週間以上かかった。いかにパジェロミニに頼っていたかが良く分かった。そして、修理している最中に飛び込んできた情報”フレームとボディーが全く合ってない。前の事故は相当酷い事故だった。”。まさかそんなに酷かったとは・・・自分の判断は間違っていたと後悔した。

5.永遠にさよなら…
 それからの修理箇所も相次いだ。サーモスタット、マフラー、タイヤサイズの純正化、スタビライザリンク、クーラー、フェンダーミラー。かなりのお金がかかってしまい、もう中古車はこりごりと思うようになった。
 学生時代をしっかりと支えてもらったパジェロミニ。その後も遊びなど、いろいろな所に出かけさせてもらった。そして、いよいよ就職が決まったこともあり、念願の新車を購入することになった。そして、パジェロミニは妹に譲渡。
 その後はしばらくは活躍は見られるかと思ったが、残念ながら、事故発生(ちゃんと運転しろよ、妹)により、パジェロミニは永久にこの家から姿を消した。あと少しで5年というところであった。
 いろいろと勉強させられた車。ありがとう。

どうも、読んでいただきありがとうございました。

愛車一刻館